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理趣経
オリッサの金剛手坐像 - バージョン 3
《オリッサ州の金剛手坐像》

密教の経典である理趣経にはいくつかある。サンスクリット本1種、漢訳6種、チベット語訳4種が知られている。その中で日本で最も多く読まれているのが不空訳の『大楽金剛不空真実三摩耶経』、略称『般若理趣経』である。

理趣経は、真言宗内において、古くから、講伝の形をとって、師から弟子へと秘密裏に伝えられてきた。公開が憚られ許可(こか)という儀礼を経て、特別に資格ある弟子に対してのみ、その内容が明らかにされた。最澄が空海に理趣釈経の借覧の申し入れをして断られたのもそのためである。

理趣経の内容が公にも説き明かされるのは明治以降のことである。何故に秘密とされたか、それは、理趣経で用いられる語句に男女の愛欲に関係する言葉があるため、素人はエッチな教えだと誤解してしまう恐れが大いにあったからと言われている。セックスさえも人間の本来持つ欲望として肯定し、それをさらに大きな人間の生命力に育て上げ、それでもって悟りの道を開こうとするお経なのだ。

また、仏教史の面から見ると、護摩やヨーガ(=瞑想)など、バラモン教やヒンドゥー教などに見られる民間信仰とか伝統的な宗教儀礼を取り入れるなど、インドの民衆と深く結びついたのが密教である。民衆の信じているものを、そのまま取り入れ、仏教的な意味づけを与えて、そっくり仏教化してしまったわけだ。この密教の中で、顕教の般若経の空の思想を取り入れて密教的に再構成したのが理趣経ということになる。

理趣経の経題『大楽金剛不空真実三摩耶経』は、“苦しみに変わることのない絶対の安楽で、ダイヤモンドのように堅固で、空しくもない真実の悟りの境地を説くお経”、という意味である。手っ取り早く言えば、悟りに達する方法を書いたお経ということになる。

『般若理趣経』は序文、正宗(しょうじゅう)分、流通(るずう)分に分かれている。

序文では、誰が《教主》、いつ《時》、どこで《住処》、誰のために《衆》、どのような内容《信》を説いたかという《五成就》が示される。経典の《教主》は五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智)を具えた大毘盧遮那如来であり、《時》はあるとき、《住処》は三界(欲界、色界、無色界)のうち欲界の最頂上にある他化自在天である。そして、八大菩薩(金剛手、観自在、虚空蔵、金剛拳、文殊師利、纔発心転法、虚空庫、 摧一切魔)を筆頭に、《衆》すなわち数え切れないほど多くの菩薩衆に対して、一切法の清浄句門(=現実の一切の世界は自他の対立を離れた清浄な世界である)という《信》が説かれるのである。

正宗分は17段に分かれている。各段ごとに、教えを説く如来と主題の提示があり、ついで教えの内容、さらに功徳の列挙があり、最後に菩薩が現れて、如来の教説を種字(一字の真言)にまとめて締めくくられる。

初段では、“妙適(=男女合体の喜び)清浄の句、これ菩薩の位なり”で始まり、慾箭・觸・愛縛・見・適悅・愛・慢・莊嚴・意滋澤・光明・身樂・色・声・香・味という男女の合体の経過になぞらえた16の清浄の句も菩薩の位であると説かれる。そして、“何を以ての故に、一切法は自性清浄(=現実世界は本来空であり、自と他の対立を超えていること)なるが故に、般若波羅蜜多(=悟りの智恵)も清浄なり”と結ばれる。

初段では金剛手を相手に大毘盧遮那が説き、金剛薩埵が“吽”という種字にまとめる。実は、密教の世界では、金剛手も大毘盧遮那も金剛薩埵も同一なのだ。

以下、第二段から第十七段まで続くが、いずれも報身である様々な名を持つ如来が説き、それぞれの如来と同体と考えられる菩薩が種字にまとめるという構成になっている。ただし、第十二段から第十五段は、アウトサイダーの神々が賞嘆の声を上げている。外金剛部の八百万の神々、七母女天、三兄弟、四姉妹である。

また、初段から第三段にかけてはとんでもないことが語られている。原文は以下のようになっている。

“たとひ広く積習するも必ず地獄等の趣に堕せず、たとひ重罪を作るとも消滅せんこと難からず(初段)”
“たとひ現に無量の重罪を行ずとも必ず能く一切の悪趣を超越す(第二段)”
“もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず(第三段)”

たとえ障りや罪を積み重ねても地獄に落ちることはない。たとえ罪を犯してもみな消えてしまう。たとえ数えきれないほどの重罪を犯しても必ず悟りを得ることができる。もしこの理趣経を聞き、心で受けとめ、声を出して読めば、三界のありとあらゆる生きものをすべて殺しても地獄には落ちない。あれが善いかこっちが悪いかというような分別を捨てろ。善悪の彼岸に立ち、日常性を超え、生きとし生けるものは全部一つで、自分自身も仏であるという一切法平等の自覚を持たなければならない。このことが一等大事なのだと言っているのだ。

第十七段には、有名な「百字の偈」が含まれている。真言行者の実践すべきことが5つに分けて語られている。理趣経の肝心要のことが説かれているから、理趣経全文を読誦できなくとも、この「百字の偈」を声を出して読むだけでも相当のご利益があるという。

・・・
菩薩勝慧者乃至盡生死恒作衆生利而不趣涅槃
般若及方便智度悉加持諸法及諸有一切皆清浄
欲等調世間令得浄除故有頂及悪趣調伏盡諸有
如蓮體本染不為垢所染諸欲性亦然不染利群生
大欲得清浄大安楽富饒三界得自在能作堅固利
・・・

真言行者は、生きている限りは常に他人の利益を心がけ、しかも自分は悟りの境地に赴かず、真理を方便という形で現して、あらゆる生きとし生けるものをみな清浄ならしめ、どろどろした欲望をぶつけることで、世間の人びとを正しい方向に連れて行き、蓮の花が泥の中から綺麗な花を咲かせるように、欲望をもって苦しんでいる人たちを救い、私欲でなく自他を区別しない大欲によって安楽で豊かなもの獲得し、あらゆる世界で自在に動き回って、不動の心でみんなの利益のために尽力しなければならない。

最後の流通分は経典を賛嘆する部分に相当する。本経ではこうだ。

“一切如来及び菩薩は、共に是の如くの勝説を作し已って、持者をして速やかに成就せしめんが為に、皆大いに歓喜し、信受し、行ないき。”

奈良国立博物館蔵理趣経曼荼羅図像
《奈良国立博物館蔵理趣経曼荼羅図像》
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本を読む | 01:42:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
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